【8月通信より】(髙橋)

前回は、大正時代に作られた初めての民間の社交舞踏場「花月園ダンスホール」について見てきました。 

庶民の間で社交ダンスは、またたく間にブームとなり、ダンスホールは日本各地に増えていく事になります。 

昭和8年には、全国で50か所ものダンスホールがあったんだそうです。 

都内では四谷の「国華ダンスホール」、人形町の「ユニオンダンスホール」が有名だったそうです。

当時はお見合い結婚が多かった事もあり、男女の自由な出会いの場にもなっていたんだそうです。

 

さて、そんなダンスホールですが日本は徐々に太平洋戦争に巻き込まれていく事になります。

当然、欧米の文化はことごとく排除されるようになります。

太平洋戦争開戦の直前1940年には、政府から(ダンス禁止令)が発令されてしまいます。

国内の全てのダンスホールは閉鎖となりました。

文化は時として時代の流れに翻弄されてしまうんですね。

くしくも今年は戦後80年。今この平和な日本に感謝しながら、世界中に平和が訪れることを願ってやみません。

戦後の日本の社交ダンスはどのように復活を遂げるのでしょうか? 

 

次回は戦後日本で最初にできたダンスホールについて見ていきたいと思います。

何県だと思いますか? 

 

フッフッフ。乞うご期待!

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