【通信☆7月号130号より】民間の社交ダンスホールについて調べてみました(髙橋)

前回は明治時代、鹿鳴館について調べてみました。

現在の鹿鳴館の跡地(帝国ホテルのすぐお隣)はどうなっているのか気になったので、サイクリングを兼ねて行ってきました。

確か「鹿鳴館跡地」なる石碑があったような…

残念ながらこのエリアは開発工事が行われており、跡形も無くなっていました

残念…

 

気を取り直して今回は大正時代に作られた、初めての民間の社交ダンスホールについて見ていきます。

1914年(大正3年)横浜の鶴見区に西洋式の遊園地「花月園」がオープンしました。

その6年後、園内の建物を改造して日本における民間初の社交舞踏場「花月園ダンスホール」がオープンしました。

当時のダンスホールの写真にはモボ・モガに混ざって、着物を着た女性の姿も見られます。

まさに和洋折衷ですね!モボ・モガが社交ダンス、なんだかオシャレですよね。

その後、ダンスホールは日本各地に増えていきます。

この時代は、どんな種目のダンスが踊られていたんでしょうか?

次回は昭和!

日本の社交ダンスはどのような時代の流れに飲み込まれていくのか…

乞うご期待!

アーカイブ

ダンススペースオオヤLINE公式アカウントの登録はこちらから! 

LINE ID
ページのトップへ